ボンの道楽つれづれ

好きなことをいろいろと

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バイギブJ-160Eの修正完了

バイギブJ-160Eの修正完了

このギターを購入して一年が経過した。この間、何やかややってきたが、どうにも我慢ができないところがあって、その対応に苦慮していたところだ。
今回の作業結果からして、僕は前のオーナーも、第一フレットの山を削ったり、それに伴って、ピックアップのネジを思いっきり沈めてしまったり、と止めておけばいいような修正をやっていたようだナと理解できた。
僕自身も若干ながら嫌気が差していた。が、拙宅の我が部屋へ半ば放置してしたコイツにマーチンの弦を張ったとき、少々考えを変えた。音そのものはなかなか良くなっている、とね。
色々判断して、ナット交換と指板の修正をしていたところだ。

暑い中、扇風機のみ作動させている我が部屋ではあるが、集中して作業をやっていると、暑さも忘れてしまう。
アンタのことだ、どうして、専門店に修理依頼したりしないのか?、と言われるかもしれないが、それほどまでするギターでもないんだ。形状は違うが、完全なオリジナルのJ-160Eを持っているし、これはバイギブのJ-150Eとして見てやる、というのが僕の行き方だ。
古い話で申し訳ないが、小学校時代、同じように模型などに熱中していた。拙宅は食堂経営をやっていたし、外の道は地道、店の中は火を使っていたにもかかわらず、扇風機で十分な涼しさを確保できていた。午後はプールで泳いだ後、帰りは「怪傑ハリマオ」を桝潟町のW君のお宅で見させてもらって家へ帰っていたんだ。
エッ!「にわか」の御曹司のくせにテレビ無かった?。
御曹司には関係なく、その頃は南海放送が開局前の民放がOBSのみの世界。拙宅の裏を通る2本のアンテナケーブルに接続する必要がある。それにはゼニが必要。今の数万円クラスが必要だったのだから、致し方なく、お城山直近から東の地域では、東京オリンピックの1964年まではそんな調子だったんだ。アンテナだけ立てれば視聴できる時代ではなかったんだよ。
オーット余談が過ぎた。
バイギブのこのJ-160E、ようやく弾ける状態になった。
ま、先に記載したとおり、このギターもネームバリューは小さい。フェンダージャパンのどれほどのものだろうか。お粗末。

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Gaiya On The Roadって何だったの?

Gaiya
 オーット、これはリアルタイムだよ。今は午後8時30分。山本コータローが久しぶりに「岬めぐり」を歌っている。
 これ以降は、文章の修正面もあるから、最終は記事のアップの時の時間を入れるね。

 写真は市役所チーム。本来なら僕も出ているはずだけど、ずいぶんと行き方が変わったので、自治体合併後、最近僕は出ていない。牛鬼保存会のK会長も怪我をされたが、それ以来出てないところからすると、僕と同じような気分を持っているのかもしれない。
 今年はいろんなことがありました。宇崎竜童を呼ぶととかね。誕生して20年だからってんで、賞を出すとか... 。

 踊りに対して歯止めもかかった、と聞いていたけど、これはダメだった。
 市役所のショットを取り終えて、いつもながらの「酒道場の桟敷」で見てたけど、ブレークダンスモドキとかストリート何とかっていうタイプの振付でのダンスを見てると、オエ~って戻しそう。最近じゃ、これを「リバース」って言うんだってね。

 その後で、オリジナルの踊りのグループが颯爽、そう、サッソウと過ぎていくとホッとするんだ。ブレークっぽい奴らは「このダンスで何を表現しようとしているんだろうか?」。ちょいとイヤイヤやってる奴。失敗したら、手で口を覆う奴。こいつ等に真のストリートとかブレークなんて、100年早いわ。

 でも、もう遅いのかもしれない。振付の土井さんは亡くなって久しい。何とか主催の青年会議所の方で歯止めをかけなきゃ、このバカというか、エセのブレーク&ストリートダンサーっぽい振付は消えやしない。

 ついでに言うと、本来のジュニア・チャンバースとしての社会に貢献する団体として存在しないと... 。今は遊びばかりやってるに過ぎない青年会議所の君たちメンバーの双肩にかかっているんだから。

 でもって、今は午後8時50分。今年は少しばかり早いな。

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あれから43年

End The Beatles

1966年6月30日、東京武道館でのビートルズ日本公演。当時の世相からすれば、本当に来た台風以上に台風だったのかもしれない。
当時僕は高校1年生。現在は西予在住のT君が下宿していた伯母様の下宿で、南海放送を通じて放映されたテレビショーを見ていた。我が家のそれは室内アンテナでのソニーの9インチテレビだから、画像がはっきりしない。いずれにしてもモノクロの14~17インチだから、そう大きい画面ではないが、見た瞬間は凄まじかったね。加えて、リッケンバッカーなど、ジョージのものだけだったから、今後のビートルズの行方が違う方向になってきだした、ということがおぼろげに判り始めた気がしないでもなかった。

当のT君は1/30ぐらいでカメラのシャッターを切っていた。こちらは60ヘルツの世界で、通常テレビ受像器もそれになっているので、シャッター速度が1/30、1/60、1/15で切ると走査線の数がそのままフィルムに反映するときがある。
結果は見事に写っていた。その後、ネガの行方は定かではないが、写真は探せば出てくるかもしれない。

あの時は、ジョンがシャウトするミスター・ムーンライトが流れて、リンカーンで羽田から移動するシーンがオープンだった。
前座が長くって、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、内田裕也、尾藤イサオ、ドリフターズ、ブルージーンズなどが出演していた。「早くしろよ」と誰もが気に病んだところだ。それが終わって、場内が一段落すると、EH・エリック氏が出てきて、「レイディース・アンド・ジェントルメン、ウェルカム・ザ・ビートルズ」と言った瞬間から凄まじいことが始まったわけだ。

その後、ビデオテープでリリースされ、LDにもなった。日テレで最後の放映となるまでも、結構流されたが、前座のことまでは加味されていない。
一つだけハーフオフィシャルCDだろうか、前座の入っているものがあるらしいが、僕は持っていない。
映像自体はいただけない画質だから、気にもしていなかったのだが、今回DVDで見ることができた。翌7月1日の公演も入っているし、ドキュメントも入っている。

後年、ビートルズのレコードジャケット展示などを商店街のタナベ眼鏡店で黒田のぼり店の専務と行ったが、何と東京公演へ宇和島から運良く入場できた女性が来ていたのにはびっくりした。チケットも半券を持っていらっしゃるようだ。
運良くはその方を含めて高校生の大半は補導されたのだから、宇和島くんだりから上京して入場できたことは奇跡に近いわけだ。そういえば、容姿から年長に見られたのであろうか。

実公演35分。最後の曲I'm Downが終わると深々と一礼してステージを去った。

Im Down


ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも死んだ。個々のビートルズのメンバーの誰がどうとは言わない。僕が好きなのは、元気にライブしていた1963年頃のビートルズが好きなだけだ。SGT.ペパーズで彼らとは事実上のお別れ。その後の解散に至るまでのレコードなどは、シリーズを除いてほとんど持っていない。ジョンが殺されてもどうでもよかった。

今回のDVDを見ると、βマチックで録画されたものが一番綺麗だしリアルだ。NHKがつい最近までβカムで録画していたのがよく分かった次第。
今やDVDも10回はダビングできる。正に隔世の感がする。
とはいえ、あの騒音の中、リンゴのドラミング、ポールのベース、ジョンのストローク、カポタストを平気でステージで使うジョージなど、今のミュージシャンのステージより迫力があるのは、ネームバリュウだけではない、と思えてならない。

あの日から43年の歳月が流れた。2年後の2010年は高校卒業後40年の同窓会が開催されるであろう。既に母校は校歌を除いて存在しない。仲間の多くも他界したし、行方不明の奴もチラホラいる。
これから43年間、僕は生きられるだろうか。そんな、大きいが速すぎる現代の時間の流れに逆らうのも一興かもしれない、と思った。

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大変化に大感激

夏前

我が愛車SR500である。この7月末の車検を受けると、購入後13年目に入る。これまで、様々なパーツを装着したり、何やかややってきたが、その都度本文中に顛末などを記してきた。今回は少し前から気になっていたBORE-ACEのパーツをいくつか装着した。
久々の一念発起、朝の5時から作業を開始し、1時間程度取り付け終了。精度上も問題がない優れたものだ。
一度オヤスミし、朝飯の後いつものテストコースを走る。「こ、これは... !?」詳しくは次号で申し上げるとして、久々にSR500の素晴らしい面を発揮し始めた。
おそらく今回装着した僕の選んだパーツをSR400に取り付けると、相当すばらしいものになるはずである。
時間が取れれば、久しぶりに夏のツーリングに出かてみようかとも感じたところだ。

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吉田の夏祭り

吉田牛鬼

昨日、吉田の夏祭りへ行ってきた。往復は宇和島自動車のバス。片道310円。安い方か。この日は未明に雷と強い雨。それに昨夜来の風のないムンムン状態で、僕自身は大いにのたうち回った次第。クーラーなんぞは無い世界。扇風機が関の山だ。それゆえ元気かもしれない。

お祭りといったところで、悠長なもんだ。定刻になったはずだが一向にスタートしない。いわゆる宇和島時間だ。みんなが揃うまでにタイムラグがある。

写真の牛鬼は宇和島信用金庫のものだ。その後ろに御輿が続くのだが、牛鬼が露払いを務めるでもない。頭の突っ込みはあるものの、どこかのんびりしている。
この写真の後、頭を支える棒がポッキリ折れてしまった。本来なら頭をピンと立てての練りになるのだが、道幅などから、それもできないのであろう。

夕方からは流し踊りが始まる。本来なら僕が出ている?、とおぼしきものであろうけど、出なくてよかった。出ているとイライラがつのるばかりで、踊りというものからは遠く離れてしまう。
「来なはいや~、来なはいや... 」で始まる歌詞はよく聴くと、合併前のいい時代の吉田の状況を歌ったもので、今とは隔世の感があって、思わずガックリ来てしまった。

この写真はS1 Proで撮ったものだ。実のところ、僕の後ろをどういった方々がカメラで狙っているかをチト想像していただきたい。

大半の方々が倍率の高いズームレンズ。6~15万円程度のデジタル一眼レフカメラ。こういった「レンズがキラリと光る」カメラを持った方々が10人程度いらっしゃるのだ。
僕も無精をコクけど、こんな装備で写真にしたって、所詮はデジタル映像の切り抜きだ。
どうして、ここだけで待ち受けショットしてるんだろう?。もっと撮影場所求めて歩かなきゃ。

流し踊りも仲間内をショットして、商店街の切れ目からバス停へ行き、20時過ぎに帰ってきた。

ふと、この祭りも数年後は吉田だけで出来るのかな?、ということを思った。市役所関係の多くは合併後の職員が多く入っている。
それはそれでいいけど、真のネイティブヨシダマン達での祭り実施をどこかで踏襲しなければならないのではないか。
そういった一抹の不安が僕の頭を過ぎった。

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